震災翌日・帰宅

3月11日の地震の後、勤務先の病院で一晩を過ごし、本格的に人が移動し始める前に、ということで朝6時台に帰宅させてもらいました。私の職場から自宅までは、空いていると自家用車で40分くらい、通常の通勤だと1時間かかる距離です。信号はほとんど点いておらず、さすがにここは・・・という大通りに1箇所だけ点いていました。途中の道路もどこにヒビ割れ・段差があるかもわからず、水没していないと思われるルートを恐る恐る走りました。ですが、段差のところには既に赤いコーンが置いてあったりして、この瞬間も頑張っている人たちがいるのだ、と実感しました。
私の家では、ヨ○ケ○を利用しているため、無駄な食材がほとんどありません。地震直後に母とやりとりしたメールでも子供たちの食糧が心配だと書かれていたため、コンビニなど注意して見ながら帰りましたが、どこも開いていませんでした。もちろん自動販売機も全滅・・・。
とにかく家に帰ろう!ということだけ考えて自宅付近まで来たとき、普段は利用しないような個人商店が目にとまりました。人が出入りしている気配があり、向かい側でしたのでチラっと見たところ、缶コーヒーがあるのが見えました。
ダメもとで路上駐車し、お店に入ってみたところ、お茶系のペットボトル、プリン、豆腐、甘納豆などがありましたので、持てるだけ買いました。
また、病院から、子供が食べられそうなお煎餅、雁月などを少しもらっていました。
帰宅したところ、駐車場に父のNOAHが・・・見ると両親と子供二人が乗っています。余震が怖いので、車の中で夜明かしをしたそうです。皆でナビでニュースを見ていました。
家の中は、明るいうちに両親がガラスなどの破片を掃除しておいてくれたようで、一応靴を履いたまま入りましたが、地震翌日にしてはかなり片付いていました。というか、33年前の教訓か、建物じたいは耐震構造になっていて、あまり被害を受けなかったのだな、と思いました。ご近所を見ても、屋根瓦が落ちたとか塀が崩れたとかはあっても、地震で家が壊れて住めなくなった、という人はいません。今回の地震で怖いのは、津波の害なのだということを感じました。
情報を得るために、小学校(必要時には避難所になるところ)へ行きましたが、避難しているのは車椅子の方や、アパートの上のほうの階に住んでいるなどで、余震がきたときに逃げるのが怖いから・・・というような方だけでした。係の方にも、「自宅が壊れていないならそちらにいたほうがいいですよ。この辺りは被害が少ないから物資もこないし、寒いし・・・」と言われました。職場付近の避難所はあふれるほどだと聞いていたのに大違いです。
3月12日は暖かかったので、子供たちと向かいの空き地で遊んだりできました。残っていたご飯でおにぎりを作って持ち歩き、あとは食事というよりお菓子のようなもので食いつなぎました。余震が怖いので、とにかく離れないように、家族全員で集団行動でした。電気・ガス・水道すべて止まっていますので、暗くならないうちに食事を済ませようと思うと3食は無理で、自然と1日2食になります。布団を敷くにも暗いとこんなに難しいとは・・・と思いました。
両親は懐中電灯のありかがわからなかったようで、本当に真っ暗で一晩過ごしたそうです。職場から、懐中電灯の場所を書いたメールを送ったのですが、私が帰宅した後にやっと母に届きました。2つあった懐中電灯のうち、1つは点きましたが、1つはかなり古いもので、電池が液漏れしていました。ロウソクは、ガス漏れしていると危ないので使わないように・・・とニュースでも言っていましたが、やむを得ないので時々使いました。
私の部屋も少し片付けることができましたが、本棚の整理をしていて、なんだか通路が狭いなと感じました。ふと見ると、本がぎっしり詰まった本棚が、壁から10cmくらい動いていました!職場でも、書類のぎっしり詰まった棚が倒れたりしていましたので、本当にすごい揺れだったのですね。タンスなどに付けていた転倒防止金具は、クギが抜けかけていて、まっすぐに取り付けたはずなのに斜めになったりしていました。転倒は防止することができましたが・・・。意外に効果があったのが、ギザギザのあるゴムを下に敷いていたもので、その家具は動いていませんでした。にほんブログ村 子育てブログ ワーキングマザー育児へ
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